ミュージックビデオ『やけのはら「RELAXIN’」』が第17回文化庁メディア芸術祭のエンターテインメント部門新人賞を受賞した、映像作家チーム「最後の手段」。今回採択された企画は、静止画から生まれる空間や、動画から生まれる空気を融合させた、マンガと映像の中間のような作品です。ミクロとマクロ、現在と太古を行き来し、破壊と再生を繰り返しながら新しい世界へと向かうことをテーマに制作を行います。

「最後の手段」のアドバイザーを担当するのは、マンガ家/神戸芸術工科大学教授のしりあがり寿氏と、アニメーション作家/東京造形大学准教授の和田敏克氏です。

―初回面談では「最後の手段」の代表、有坂亜由夢さんが出席しました。

マンガと映像の融合について考える

 有坂亜由夢(以下、有坂):ここ3年ほど、半年に一度くらいの頻度で、集中して少しずつマンガを描いています。今回はこのマンガ『あたらしい国』をベースに映像を制作します。面接時のアドバイスを受けて、マンガと映像の融合についてもう少し詰めて考えたいと思っているところです。

―原作となるマンガ『あたらしい国』を紹介しながら話が進みました。

和田敏克(以下、和田):映像用に、絵コンテを描き起こすのでしょうか?それともマンガを動画用紙に直接描いていくのか、どちらでしょう。

有坂:ストーリーは文章で考えていますが、絵コンテはつくらずそのまま絵を描きます。マンガが未完成なので、まずはマンガを描き切ろうと思っており、その後に映像でどう動かしていくかを考える予定です。

しりあがり寿(以下、しりあがり):最終的なアウトプットはアニメーションの映像になるのでしょうか。マンガで描いたものが映像にどう現れてくるか、というところですね。
マンガや映像の分野では、既に様々な人によって色々な実験がなされています。今回、双方の融合を試みて、その先に何を目指すかがあるといいですね。漠然と面白いものになりそう、という期待はありますが。お話を面白く見せるのか、それとも場面場面での不思議な感じを大切にするのか。

和田:そもそも今回、マンガから描き始めて映像として完成したい理由は何でしょう。この作品には「動き」が必要だということでしょうか。

有坂:単純に動かしてみたくなったのもありますが、そこはもっとはっきりさせなくてはいけないとも思っています。もともとアニメーションをつくっていて、「間(ま)」や「動き」のタイミングを表現することに苦手意識があったのですが、あるとき、マンガを描くことが「間」を掴むためにいいかもしれない、と思ったんです。また、映像のどこを切り取ってもきれいな画面にしたいと追求する中で、マンガは一番きれいな瞬間を切り取る魅力があるので、何か手がかりが得られると思いました。そうしてマンガのようなものを描いていくうちに、自分の中でストーリーが湧いてきたので、マンガとして描き切りたいと思いました。マンガと映像の融合の先に目指すところ、というとうまく言えませんが。長編とはいわないまでも、ある程度の長さの作品に取り組みたいと思っています。

マンガ的なコマ割りを効果的に取り入れて

有坂:マンガから映像を考えるときに不要なコマが出てくるなど、コマやカットの違いが悩みどころになってきそうです。

和田:それは、映像の全体をコマで占めるより、「部分的にコマがあっていい」という考え方をするといいかなと思います。面接時のプレゼンテーションで見せてもらった映像も、マンガ的なコマ割りの中に動きを入れたところに視覚的なユニークさがありました。マンガ的なコマ割りが入ると、マルチ画面的な感覚が出てくるのですが、それが単純に映像の手法であるマルチ画面とも違うものになっていました。マルチ画面の効果には、同じ時間軸のなかで、別の視点や別の世界が同時に動くことが挙げられます。そこへ、マンガならではの特性を重ねることで生まれる効果を利用するといいかもしれません。ちなみに今回重視するのは「間」の表現でしょうか。

有坂:はい。私の中でも「間」がポイントになると思っています。

―参考に、フレームと吹き出しだけで構成する映像を用いたインスタレーション『サンポの奪還』(しりあがり寿、2017)の資料を見ながら、マンガと映像の融合による新たな表現について意見が交わされました。

和田:白紙の中にコマが現れたり、上に重なっていったりするなど、コマが現れるタイミングを使う手もあります。今回、マンガはマンガとして独立した作品にするとのことなので、マンガをしっかり描き切ることも大切ですが、映像との融合を試みるなら、今からそれを進めていくやり方もあると思います。
マンガを拝見すると、もともとアニメーターなこともあってストップモーションのような表現が多かったように思います。キャラクターが浮遊したまま時間が止まっているような。その中で何かを動かすとよりその表現が引き立つでしょう。

有坂:映像でも空気感のようなものを出せればいいのかなあと思います。

しりあがり:普通のマンガでは、読者に読み続けさせるためのセオリーがありますが、今回はもっと違うアプローチができそうですね。

作風に合うストーリーを考えて、相乗効果をねらう

しりあがり:ストーリーを考える際に、石ノ森章太郎の『ジュン』(1967-1971)というマンガも参考になるかもしれません。手塚治虫が「こんなのマンガじゃない」って怒ったという逸話があるんだけど(笑)。イメージをマンガの形で定着させようとしたマンガで、少女マンガへも影響を与えました。その時代の試みを見てみるのもいいと思います。

有坂:ストーリーについて、そこまで具体的なものにする予定はないのですが、見て何かが伝わるようにしたいとは思っています。

しりあがり:有坂さんの作品の特性として、浮遊感もそうですが、時間の経過が曖昧になっているようなテイストがありますよね。ストーリーも、そうした不思議な時間を共有するようなものになるといいのかなと思います。すごくスピード感があったり、伏線を張ったりするようなものは合わないかもしれません。ちなみに『あたらしい国』というタイトルは、どんなイメージで付けたのでしょう?

有坂:私の中で「国」は「国家」などではなく、神話に出てくるような、天に対しての地上というイメージです。主人公が生命力と破壊力を同時に持っていて、成長とともに世界を壊していき同時に別の世界が生まれる、というようなコンセプトを考えています。自身が作品をつくるときの感覚として、生命力を生むと同時に自分が破壊されるような気がして疲れるんですが、うまく流れに乗れると別の次元に進むような感覚があります。マンガのなかでもそういうものを入れたいと思っています。描き進めていかないと最後がどうなるか、まだ何とも言えないのですが。

しりあがり:人に、お話を読ませるためのエンジンをかけることは難しいと思います。きれい、格好いいだけでは読み続けられないので。推理小説は、少しずつヒントが分かってきて最後に解決するという、ストレスと解放の組み合わせがありますよね。長編を描くときは、そういうメリハリも意識しておくといいかもしれません。次回は、マンガの最後がどのようになるか示してもらえれば、と思います。

和田:そうですね。今後は、最終的に作品となる映像の形態もイメージしながら進めてください。

―次回の中間面談までに、マンガの執筆のほか、作品の発表形態の検討などが行われる予定です。