抽象アニメーションを制作し、海外の映画祭での評価をはじめ文化庁メディア芸術祭でも7度の審査委員会推薦作品選出歴のある水江未来さん。今期から新しく始まった団体への制作支援として採択された本企画は、「日本発、新しい実験の場としての長編アニメプロジェクト」として、『西遊記』を子ども向けのミュージカル映画として制作する水江さんたち製作委員会の新たな挑戦です。

『水江西遊記』(仮)製作委員会のアドバイザーを担当するのは、マンガ家/神戸芸術工科大学教授のしりあがり寿氏と、アニメーション作家/東京造形大学准教授の和田敏克氏です。

人類がゼロからやり直すことはできないか

 土居伸彰(以下、土居):3月にフランス・ボルドーで開催される長編アニメーションのピッチング・イベント「Cartoon Movie 2019」への応募締め切りが11月の半ばにあったので、それに向けてシノプシス(あらすじ)を書いたり、キャラクターデザインを整えたり、イメージボードを作ったりしました。また、フランスのMIYU Productionsと一緒に組んで、国際共同製作の道を探っているところです。

水江未来(以下、水江):ストーリーは近未来設定でSFを入れ、かなりアレンジしました。主人公は、よく知られている三蔵法師と同じ名前の別の人物、「三蔵」という弱々しい男の子です。菩薩からの受胎告知のように「西へ行きなさい」と啓示を受けて旅に出るという話です。原作の『西遊記』だと、教典を授かって帰ってきたら荒れていた都が救われるという話ですが、本作では戻りません。天竺が箱船のような存在で、次の世界に行くためのひとりとして、釈迦如来によって一方的に選ばれた人物です。作品世界には、「妖怪は卑しい存在」という認識がありますが、その認識に三蔵が抗っていくという話です。

和田敏克(以下、和田):最後に妖怪たちも含めて、ゾロゾロとした1行となるけれども、あれはオリジナルですか。

水江:そうです。原作では仲間になっていません。

土居:妖怪たちを含めて、どんどん仲間を増やしていきます。ある種の「選民思想」に対するアンチテーゼがこの作品にはあると思います。水江くんと話していても、移民の話や、有用か無用かで人間が分けられている現在の社会状況に対する反発がある。そういったことを背景に、怪獣や妖怪を仲間にしていく物語になっていっています。

水江:世界を破壊したいのではなく、もう一度人類がゼロからやり直すことはできないのかと思うことがあります。ずっと負の遺産を受け継ぎ続けるのが人類なのだろうか、と。その呪縛みたいなものをどうしても感じてしまいます。『西遊記』の世界では、釈迦如来がどうしても超えられない存在ですが、それに対して最後に三蔵が抵抗する、ということが重要な気がしています。

しりあがり寿(以下、しりあがり):火焔山から飛んで月に行く設定が、効果的なのかどうかがまだわからないんですよね。

土居:シノプシスについては、まず水江くんがベースとなるお話を書き、それを僕が読んで、アレンジをするかたちで書いていきました。天竺を月に置くという設定は、この方がSF的な設定に合うのではないかとアレンジしてみたものです。

しりあがり:すごくいいなと思ったんです。インドにあっても面白くない。最初から月を見て、あそこだとわかっていることが良いのかどうか、最初は知らずに途中でわかる方が良いのかと、色々と整理できる気もします。

土居:水江くんが過去の呪縛から逃げるという話をしたのは、先日2025年に大阪万博の開催が決まったり、2020年のオリンピックもそうですし、「月に行く」という話もそうですし、どこかで聞いたことのある話が再び起こっている現状への反応でもあると思います。

水江:誰がそのことにワクワクしているのだろう、ということがわからなかったのです。新しいことにワクワクしているのではなくて、前にやったすごいことをやろうというループに入っている。そこに対する違和感がありました。

和田:文明が進んで人間が均質化して、月に行く興味を失せているという設定が、シノプシスで面白いと思いました。

しりあがり:仮に、最後に敷かれたレールから抜けるということが大事だとすると、途中で火焔山から月にワープしないほうがいい気もします。ずっとレールの上をいって、逸脱するほうがいいかもしれません。結局、金角・銀角の存在は、三蔵にとって最後に救うべき対象になるのでしょうか。

水江:金角・銀角は、天竺に行くと世界がリセットされてしまうことを唯一知っています。だから、それを阻止したい。リセットされても妖怪という境遇は変わらず、人間たちに差別され、それに対する恨みがあるんです。そういう金角・銀角の気持ちを三蔵が知る。

土居:もしかしたら、金角・銀角が言っていることが正しいのかもしれないという気づきが重要なのかなと。そういうことであれば、今までと違うリセットの仕方があるんじゃないか。歴史のループから抜け出せるところがあるんじゃないか、と思います。

和田:ひょうたんから抜け出したときに、悟空が金角・銀角を一度追い払ったんだという説明だけで終わるところ、あれはなぜ説明だけで終わらせたんですか。『西遊記』を知っている人であればあるほど、金角・銀角を追っ払うということこそが見せ場なのに、そこが言葉だけで終わっているのが、ちょっと端折りすぎかなという印象があります。

土居:ひょうたんのなかで様々な景色を見ることで、悟空も含めてみんなが実は同じループにはまっていることに気づくわけです。悟空は金角・銀角を追っ払う。でも、それで良かったのだろうかとどこかで空疎な気持ちにもなっている。悟空のイキリ具合が、それを感じさせるかなと。

水江:ひょうたんに入るということを描きたかった。ひょうたんに入る前後で、物語のモードが変わるという場面です。

土居:この物語の世界全体が、ある意味では三蔵の無意識の中です。本質的には悟空と金角・銀角は敵対し合うものではない、そういうことがひょうたんのシーンで分かるようになります。

退屈させないための、キャラクターデザイン

土居:フランスのプロデューサーからは、後から作成したキャラクターのデザインが可愛すぎるという意見がありました。劇場用のアーティスティックな長編を作るときには、ある種の野心を感じさせるデザインのほうがいい。そのためには、最初に描いたキャラクターデザインだと言われました。

水江:最初のキャラクターデザインにもう少しだけ可愛いらしさを入れて、フランス側と話をしようかと思っています。幸い、孫悟空はメタモルフォーゼをするので、後から描いた可愛らしい姿で、たちまち姿が変化したり、もっとグロテスクにしたり、孫悟空とはいえ、ひとつのイメージだけではない見せ方もあるのかなと思います。

和田:最初のキャラクターデザインは様式的で魅力があるし、新しいキャラクターはマンガチックな立体感があって動かしやすいと思います。ただ、全体的にキャラクターの雰囲気として少しフワッとしすぎている気がします。シノプシスを読むと異形の妖怪たちの世界をイメージしたけれど、キャラクターのクレイジーさが少し足りない。もう少しそこをしっかり描くのがいいような気がします。 あとはキャラクターを動かしたりしながらだと思いますが、キャラクターの線が細いので、背景の中で立つのかどうかが気になります。もう少し線を太くしてもいい気がします。

土居:孫悟空や妖怪にもっと物質感や異様感が出てくると、物語と合うようになるかもしれませんね。

しりあがり:複雑なストーリーを追っていかなければならないので、脚本が大切だと思います。まだキャラクターの気持ちが追えていない。最たるものが、ヨーロッパの人が好きだといったキャラクターのことですね。造形的にすごく好きなんだけど、感情移入しにくい。かといって、可愛い方が感情移入はしやすいけれど物足りない。だから、どっちをどうするかとかは考えなくてもいいんじゃないかと思います。大事なのは退屈させないこと。ストーリーを追わせたり、感情移入させたり、造形的にものすごく綺麗とか、どんな手を使っても、退屈させなければいいと思います。

土居:今回つくったシノプシスで決定的に抜けているのは、ミュージカルの要素です。退屈させないということについても、ミュージカルとして機能することで、うまくできるかもしれません。今後についてですが、「Cartoon Movie 2019」の本戦に行けるかどうかの結果が12月の半ばぐらいにわかるので、それが通れば、2月頭までにトレーラー(予告編)を作る必要がでてきます。12月はキャラクターや世界観を掘り下げ、脚本家とのやりとり、音楽家のやりとりをしていこうと思います。そして、1月にパイロット版の映像の作成を一気に行って、2月にトレーラーを出します。

しりあがり:お話を聞いていて、意味やストーリーも魅力的なので、抽象的になりすぎないように、バランスを見て進めてください。

―次回の最終面談では、『西遊記』の具体的なグラフィックやキャラクターのイメージを見せる予定です。