9組のクリエイターと5名のアドバイザーによる「成果プレゼンテーション&トーク」が、2018年2月23日(金)、オープンコラボレーションスペース「LODGE」にて開催されました。はじめに海外クリエイター招へいプログラムで招へいされた3名による滞在制作の成果発表があり、次に国内クリエイター創作支援に採択された6組のクリエイターによる本事業で制作された作品のプレゼンテーションが行われました。

その様子を3回にわたって(第一回:アポロ・カチュ、ソフィー・マルカタトス、ゾヤンダー・ストリート、第二回:和田淳、澤村ちひろ、津田道子、第三回:ノガミカツキ+渡井大己、やんツー、後藤映則)レポートをお伝えしていきます。

今回は国内クリエイター創作支援で制作を行ったノガミカツキ+渡井大己さん、やんツーさん、後藤映則さんの3組の成果発表の様子をお伝えします。

ノガミカツキ+渡井大己

2016年よりコラボレーションを行っているノガミカツキ+渡井大己さんは、人間によってロボットが支配されている様子を表現したインスタレーション作品『Rekion』シリーズを発展させ、『Rekion home voice』を発表しました。

―プレゼンテーションが、ロボットの音声によって行われました。

ロボットの音声「私たちは今まで、独自に進化している日本のコミュニケーションロボットについて考察してきました。今作『Rekion home voice』は、近年、家庭に侵入してきたスマートスピーカーも合わせて、そのコミュニケーションに潜むディストピアを提示する試みです。

スマートスピーカーたちは「Wikipediaによると」「インターネットによると」と言い、自分の意見は述べていないように思わせます。また人々は、インターネットの匿名性のおかげでパーソナルな部分の発露が可能になりました。そこでは言葉だけがどこかへ行き、主体は失われていきます。スマートスピーカーの主体性のなさと共通しています。

このため、スマートスピーカーにツイッターのクソリプといわれるものやYahoo!知恵袋などの反パブリックな会話集を取り込み、会話させるように改造しました。インターネットに見える風景が、スマートスピーカーという匿名の役者によって映し出されるのです」

―家の中や公園などでスマートスピーカー同士が会話する映像が再生されました。また、会場でも実演されました。

ロボットの音声「スマートスピーカーはクラウド上で全てのデータがやりとりされていて、家の中での会話が知らず知らずのうちに録音されています。家の中全てがいつの間にかオンラインにつながっているということです。

主人が出勤や就寝をした後でも、コミュニケーションロボット同士の会話が行われている可能性があります。そこでは音声認識の誤認により、いびつな会話が繰り広げられます」

―映像が再生され、家の中でのPepperやaiboなどの会話や動きが示されました。

ロボットの音声「スマホで自然にエゴサーチしてしまうような無意識の身体性が、コミュニケーションロボットとのコミュニケーションにも、だんだんと現れてくるでしょう。コミュニケーションの残酷性が見えてきて、人とのコミュニケーション自体も変わってくるかもしれません。

これからこの作品は、いくつかのスタディをアパートの部屋のように小さく分け、演劇的な作品として提示していこうと思っています」

伊藤ガビン(以下、伊藤):本人たちは姿を現していませんが(笑)。昨年が「スマートスピーカー元年」にも当たったことで、当初の企画案からいろいろと発展してきたのはよかったと思っています。その一方で実験映像は、スマートスピーカー同士のコントのような状況と、いま起こりつつあるディストピアの状況とが混ざり合っている状態です。ここから先、どのように強い作品にしていくかが問われると思います。

久保田晃弘(以下、久保田):何らかの議論につながる作品を制作する、という方向もありえるでしょう。今回の作品のテーマはディストピアの提示ですが、ロボットが日常に介入することを、楽しいことや良いことだと捉える人はたくさんいます。ですので、一見ユートピアだと思っても実はディストピアだったという転換を表現する方法は、ほかにもいくつか考えられますね。

やんツー

美術家のやんツーさんによる企画『鑑賞者をつくる』では、「鑑賞されること」に焦点を当て、人間以外の主体による鑑賞が芸術として成立し得るのかということを考察しました。

やんツー:今回の成果として、『現代の鑑賞者 Modern Spectator』を「DOMANI・明日展」(国立新美術館、2018)で発表しました。これは、セグウェイが私の旧作『SENSELESS DRAWING BOT』などを鑑賞する「鑑賞者」としてふるまうものです。さらにそれを鑑賞する人間の「鑑賞者」(展覧会の来場者)も含めての作品という構造となっています。人工知能は使っておらず、鑑賞者としてのセグウェイは作品を見てさえいません。

初回面談以降、「芸術」や「作家」の定義をあらためてまとめました。その上で、「鑑賞者」をつくるために人工知能を用いることも考えました。が、それはもはやアーティストの仕事ではないなと思ったのです。今回やるべきことは、現代における「鑑賞」の質や、その行為自体への批評や問題提起、再定義だと。ならば、できるだけチープな方法でBotのようなものをつくった方が批評的な美術として機能するはずだと考えました。そこで鑑賞者は「作品の方へ移動し、しばらく静止し、また次の作品へ移動する」という動きを繰り返すものとしました。空間把握能力を得るためには、稲福孝信氏の提案もありBluetoothモジュールの電波強度(ビーコン)による位置測位法を使っています。カメラを使わない、何も「見て」すらいない状況というのは、かなり批判的な作品になると考えました。セグウェイは、アプリ経由でロボットアームを動かしています。旧作をBotが鑑賞する体裁をとることで、自己批判、自己言及的なものにもしました。

期せずして、環境に知性をインストールする結果になったことが、今回得られた一番の収穫です。「ポスト」鑑賞的な方向性に可能性も感じています。

久保田:結果として『SENSELESS DRAWING BOT』の、いい意味で対偶のような作品ができたことが興味深いです。これからどこまで分解していくか、というところですね。

伊藤:私も同意見です。また、やんツーさんの作風として、これまでも作品の美的な要素が関係ないにもかかわらず「描かれたもののかっこよさ」がありましたが、今回も「見た目のかっこよさ」がありますよね。その点は、今後どうしていくのか気になりました。

やんツー:内容も美的な要素も両立していけたらと思っています。

後藤映則

アニメーションの古き手法・ゾートロープなどの原理から着想を得て、見えない時間を実体化した『toki-』シリーズを制作してきた後藤映則さん。今回の企画では、その『toki-』を起点に、古来より存在する木と太陽光のみで作品を制作し、歴史上発見されてこなかった映像表現や、そこから生まれる生命感を模索しました。

後藤映則(以下、後藤):『Rediscovery of anima』というタイトルで2つの作品を制作しました。1つ目の作品は、19世紀に存在した素材(無垢材、にわか)や道具(糸鋸)によるプロトタイプが完成したので映像でお見せします。

―映像を再生。プロトタイプに太陽光(スリット光)を当てます。

後藤:つくってみないと分からなかったのですが、きちんと「歩く人」の動きが見えました。無機質なモノに、何かが宿ったかのようなものになったかなと思います。この映像表現がもし19世紀にあった場合、研究または大衆娯楽としてつくられたのではないかと考えています。

2つ目は、もっと時代を遡り、古代にありえたアニメーション生成方法をテーマにしました。というのも、3万2千年前の「ショーヴェ洞窟」(フランス)の壁画が描かれた時代には、既にコマの概念があったのではないかという説を知り、それならぜひ古代でも存在していた「石」と「太陽」でつくりたいと考えたのです。調べてみると、太陽は、どの国、どの時代でも神様として崇められてきたようです。これが古代にあったとしたら、シャーマンが儀式や祈りの道具として使ったのではないでしょうか。そこで装飾としても用いることのできる大きさにしました。

制作したのは、2つの「軽石」に「枝」で穴を開け、数十本の「麻ひも」でつないだものです。そこに「太陽」のスリット光を当てるとアニメーションが浮かび上がります。今回、実験的に3種のモチーフで制作しました。

―会場でデモンストレーションを行いました。

後藤:これから、この2つの作品の展示方法などについて、さらに検討していく予定です。

戸村朝子:光によって読み解かれるものが全て作品に凝縮されている。そこにすごみがありますね。いわばDNAのようです。今回挑戦した作品が、後藤さんの今後にどういう影響を与えるか、楽しみにしています。

和田敏克:企画当初から完成が楽しみな作品でしたが、やはり実際に見ると感動しました。太陽光は、電気の光と違って完全に連続しているので、今回の企画は、実はすごいことなのではないか、と。これは人間が初めて見る「連続の再生画」かもしれませんよね。展示については、後藤さんが大事にしているストーリーをいかに見せるかという観点で検討するといいのではないでしょうか。