2015年に監督した自主映画『ほったまるびより』が第19回文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門新人賞を受賞した吉開菜央さん。今回採択されたのは、『自転車乗りの少女 〜日本のどこかの町編〜』(仮)という映像音響作品です。那須ショートフィルムフェスティバルで制作された第一作目の続編として、刻々と変化していく景色と音を少女が漕ぎ進める車輪に乗せ、虚構と事実を混在させながら進んでいく時間を作り上げます。

吉開さんのアドバイザーを担当するのは、編集者/クリエイティブディレクターの伊藤ガビン氏と、アニメーション作家の野村辰寿氏です。

想定外のことが多かった撮影

吉開菜央(以下、吉開):11月27日から真鶴で撮影をはじめ、4日間で撮影を終えましたが、反省点が多くありました。やはり予測できないことが多く、台本代わりの紙芝居の通りにいきませんでした。もちろん天気もそうですし、出演者についても、現地で出演してもらう子どもを募集して元気のいい子が集まったのは良かったのですが、子どもに細かいニュアンスがなかなか伝わらず、子ども自身が楽しんでできることじゃないと活き活きとした表情にならないんだと実感しました。場所についても、道が狭いなかで自転車とカメラがどう並走するのかという問題もありました。紙芝居通りに撮れなかったシーンもあるのですが、当初のイメージでざっくり編集してみたのでごらんください。今後はもう少し要素を絞ろうと思っています。撮っていて「おっ」と思ったものが、かもめと子どもだったんです。自転車に乗っているシーンでは「その町に住んで音を聴きながら走っている感じ」を出すことがなかなかできず、どちらかというと「間違えて町に入り込んでしまった感じ」に見えてしまいました。

野村辰寿(以下、野村):女の子がこの町に来て帰るという入口(はじまり)と出口(おわり)になっていると思いますが、その中での行動とショットの関係が見えにくいのではと思いました。断片的なイメージのつながりや全体の雰囲気はあると思います。青虫を食べるシーンはある種のショックがあって掴みがある感じがしますし、最終的に音声が入ってくればエッジも立ってくると思うのですが、この先どのような感じを残したいのかが気になります。

吉開:今回の作品は食べているシーンが多いんです。かもめは餌を食べますし、子どもたちが「食べて、食べて」と催促して女の子が青虫や葉っぱを食べます。紙芝居上は最初にしていた市場のシーンを最後に入れて、魚がいまにも死にそうな感じのシーンから、女の子が町から出て行くという流れにしようと思っています。ただ今は、かもめや子どもがすごかったという印象を素直に受けるような感じにしたいと思っています。

野村:かもめのシーンなどは絵に力がありましたね。船の後ろで撮っているシーンなどはCGで合成しているようにも見えました。

伊藤ガビン(以下、伊藤):船の後ろで撮っている、かもめと船の波が立っているシーンは、急に船で移動しているように見えてしまいますね。そこまでは自転車に乗っているという、ある種幻想的な感じをみせることもできるけど、船のシーンについては少し異なる。絵がおもしろいから捨てがたいのですが、難しいところですね。

船の上から撮影したかもめのシーン

状況を理解させるための構成

野村:状況がわかるような絵は撮っていますか?

吉開:状況を説明するようなシーンは撮っていないです。

野村:いまはそれぞれが断片的なシーンになっているから状況が解りづらいんだと思います。行動と位置の関係がわからないままのイメージショットになっています。今回の作品では、女の子がどこから来て、どこにいて、どうなったということは主題ではないと思いますが、見た人にどこまで内容の理解を促すかについては少し考えないといけませんね。例えば、船に乗ったのは何のためでどこにいくためなのか。港町から船に乗って島に行く目的があるとすると船に乗る必然もあるし、船に自転車を乗せて、手を伸ばしたら海鳥がやってくるなどの状況がわかる絵があったらつながります。なんとなく「食べる」というテーマはあるけども、どれくらいの流れを持たせて描くのか、見る人を導くような構造を考えていかないといけませんね。

吉開:もともと「こういうメッセージを感じてください」という作品にはしていなかったので、編集作業としては、体験として見たときの「音と絵が合わされたときのショック」みたいなものをつないでいきながら、違和感のある部分を少しずつ削っていくということになると思います。

伊藤:テンポと力で押していきたいということですね。

吉開:そうです。今回は、自分が好きな絵を撮るのがすごく難しかったのですが、うまく絵と音が合わさったシーンを絞っていかないと納得できない感じになってしまいそうなので、最初に考えていたことは一旦置いて、絞っていく作業に注力していきたいと思います。

野村:そうしていったほうがいいと思います。いまはショートムービーがつながっているような印象だから、どこかに絞らないといけませんね。

伊藤:あと、明らかに疑問が湧いてしまうシーンがあると、見ている人の思考がそこで止まってしまうことがあるから、テンポで押していくのか、力で押していくのか。華麗にスルーさせるため工夫も必要かもしれないし、構成によっては一瞬でわからせることができるかもしれません。

野村:あくまでも自転車に乗った女の子が主人公で、彼女がいろいろなところに行って体験したり見たりする1日を描いているわけですよね。かもめのシーンで彼女がどういうふうに動いているのかがわかるショットだったり、彼女のリアクションを拾うだけでも全然違います。シチュエーションがあって、そこに登場人物を投げこみますが、ある種の計画に則った上で、ハプニングを含めたひとつの臨場感を収めていると思いますが、もう少しコントロールしていったほうが自分の見せたいことが伝わります。もともと紙芝居を作って流れを描いていたから導入のカットなどは非常にわかりやすいと思いました。何かがはじまりそうなワクワク感があるのですが、海のシーンが唐突に入ってきた時には主人公との関係性が描かれていないから、見ている人は「なんだったんだろう?」という感じになってしまう気がします。

吉開:そこは音の力でつないでいこうと思っています。意味はそれほど理解できなくても、構造を体験として理解できればいいと思います。共通の音などを使うことなどを考えています。

伊藤:僕は漁港のシーンが一番気になるんですよね。カラー・グレーディングの問題などもあると思うんですが、あのシーンはかもめのシーンとも全然違うドキュメンタリータッチの客観的な絵になっている。例えば、町を撮しているの時と同じように口笛が聞こえている流れで漁港があるということだったら、漁港は単純に客観視のシーンで女の子の行動が裏で動いているということがわかるけれど、今の感じでは急に大人が撮ってきた絵が差し込まれているような感じがします。

吉開:漁港のシーンは、あれほどたくさんの魚が死んでいるという絵に魅力を感じて撮影しました。

伊藤:いまの段階では、撮っておもしろかった映像が残っているわけですよね。その編集方法を最後までキープしながらいくか、どこかの段階でばっさり削るかという判断は必要ですね。

野村:今後の編集作業は、何を残して何を捨てるかということをもう少し自分の意識的な行為として、見た人に何を残すかということで選んでいくことが必要になってきます。どの程度の理解度を人に委ねるかの調節を意識してする必要がありますね。

―成果プレゼンテーションでは、完成に近い状態の一部を見せていただけるということです。