人が何かを「見る」という行為について、その探求をさまざまな方法で可視化する村本剛毅さん。偶然同じ対象を見たもの同士が、互いの視界を共有できる独自のシステムを構築し、体験型インスタレーション作品《Lived Montage》の初公演を目指します。

アドバイザー:森田菜絵(企画・プロデューサー/株式会社マアルト)/山川冬樹(美術家/ホーメイ歌手)

意識の対象に基づいた視点の切り替えを実際に体験

―東京大学先端科学技術研究センターにて、アドバイザーの2人がヘッドマウントディスプレイ(以下、HMD)を装着し、デモを体験しました。

デモンストレーション体験の様子。アドバイザーの2人をはじめ、事務局スタッフも参加した。

―部屋の中央に置かれた丸テーブルの上や周囲に、体験者が見る対象として、リンゴや金の置物、ボール、マネキンなどを設置しています。HMDは、平常時はいわゆる伊達メガネの状態で、目の前にある光景がそのまま表示されますが、2人以上が同じ対象を見ると、それぞれのHMDに互いの視点がカットインし、自分自身の視点を含めた同じ対象を見た全員の視野が映画のように切り替わりながら表示されます。
デモの前半は無音、後半では音楽がかかりました。途中、アドバイザーをはじめとする体験者がハイハット・シンバルを叩いたりリンゴをかじったりなど、いくつかの印象的なアクションがありました。リンゴなどと同様に、体験者も見られる対象になるため、誰かの行為に注目が集まると、そこでまた視点のモンタージュが発生します。

森田菜絵(以下、森田):視点の切り替わりやディレイ(反応の遅れ)などもあるので、HMDを装着したまま動くのは結構怖いですね。

山川冬樹(以下、山川):フリッカー現象とまでは言いませんが、映像の切り替わりが早く感じるからか、少し酔いました。場面によってはそれが効果的でもあると思いますが、ゆっくり切り替わるとどう感じるのかも気になるところです。切り替わりで短くディゾルブ(映像切り替え時の効果)をかけたり、あるいは完全に切り替えずに、映像同士をオーバーラップさせたりといったことも考えられます。

村本剛毅(以下、村本):今回のような動作が極めて不安定かつ短時間のデモではこのシステムに慣れる前に終わってしまったのだと思うのですが、安定した状態で数分程度見続けると、映像の切り替わりはリズムとなって身を潜め、山川さんの表現を使えばあたかもオーバーラップしているかのように感じるようになります。加えて、今はまだ映像が粗いのですが、本番では4Kくらいの解像度で表示予定です。映像が鮮明になると、感じ方も変わると思います。

森田:途中から音楽を流したことで、体験もガラッと変わりましたね。

山川:視覚と聴覚の関係性をリアルに感じたのが興味深かったです。想像していたよりも、視覚だけがものすごく拡張されて、「感覚比率」が崩れたように感じました。それが、途中で音楽がかかることで馴染んだというか、見やすくなったんです。聴覚が刺激されることで、感覚間のバランスが取れたように思いました。
デモの途中、リンゴをかじる場面がありましたが、ガンマイクで行為の音を拾うのも一つの手かもしれません。

村本:現在その予定はありませんが、HMDにマイク/スピーカーを付け、カメラ/ディスプレイと同様の関係を用意することもできます。以前大きな倉庫で実験したときには爆音でギターを鳴らしていたのですが、終盤でその音が消えたとき、視界の様子がガラッと変わったのが印象に残っています。

森田:リンゴをかじるシーン、音も、匂いもよかったですね。

山川:聴覚、嗅覚……やはり、視覚以外の感覚を刺激して感覚比率のバランスを取るという考え方は重要な気がします。

ダンスよりも演劇?過去の作品からの流れ

村本:以前の倉庫での実験では、3人のダンサーによる即興ダンスがあったのですが、11月末は「演劇の稽古」を見る対象にして実験を行う予定です。この作品では映画やその撮影行為も意識しています。映画は、演劇を撮影してきました。演劇を対象にすることで、映画との比較をより素直に行えるのではないかと期待しています。

山川:システムの複雑さがあるので、複数人による即興のダンスという、偶発性のあるものが対象だと、掛け算的により複雑さが増しそうです。演劇であればよりコンテクスチャルなので、見やすくなる気はします。
とはいえ、カオスの面白さもあるとは思います。例えば即興演奏(インプロヴィゼーション)では、カオスのなかに奇跡的な瞬間を自分の耳で発見するのが面白い。この作品でも同じような楽しみ方ができそうです。

村本:そうですね。さらに参加者は当然自分のパースペクティブが他者へ通じていることも意識的/無意識的に理解しています。そうすると、他者に印象に残るカットを「見せたい」という撮影者的な欲求が生まれる。以前の実験でも、ダンサーが恐怖を抱くくらい、カメラ(体験者)が近づいてきた場面がありました。この作品の構成の元では、見ることと見せることは、より直接的な関係を結びます。

山川:自分の視点が他者にも共有されて、作品の構成要素になっていく。単なる観客という意識ではいられなくなるでしょうね。
コロナ禍で様々なイベントが配信されましたが、そこではアウトプットの最終的な出口を撮るカメラマンとスイッチャーが大きな力を持つことになり、演者のパフォーマンスが単なる素材にしかなっていないケースも多かった。僕も配信でパフォーマンスをたくさんやりましたが、映像スタッフとの間にピッチャーとキャッチャーのようなコラボレーション関係がちゃんとできると配信ならではの創造性が出てくる。この作品が興味深いのは、体験者自身がピッチャーになったり、キャッチャーになったりしながら、従来の映像の現場における権力関係とはまったく異なる関係性から、新しい視覚体験が生み出され得るところだと思います。

村本:以前『Selfie as Dance』という、裸のダンサーが小さなカメラを持って、それのみに向かって、つまり自撮りの構造のもとで、ダンスをする作品に取り組んでいました。その作品では、メディアにおける絶対運動と相対運動の関係について考えていたのですが、今お話ししていて、今回の作品にも繋がっているなと気づきました。

山川:面白いですね。『Selfie as Dance』ではダンサーが一人でやっていたことを、大勢でやるのが今回の作品なのかもしれません。

舞台上での体験と、客席での体験の2層構造に

山川:発表はどのようなかたちになりますか? 舞台作品の公演のようなイメージでしょうか。

村本:舞台上でHMDを装着し舞台上の対象を見る参加者と、客席でその全体を見る観客という2層構造を想定しています。個々のHMDに表示される映像はスクリーンに投影するなどして、観客もリアルタイムで見られるようにしたいと考えています。
舞台と客席と言っても、舞台上の演劇は観客の方を向いているわけではなく、見る方向を限定しない演劇を構成します。参加者たちのパースペクティブから発生する映像が映画となって、スクリーンで演劇自体と同時に上演されるイメージです。

山川:最初から体験者と観客を別枠で募集するのか、観客へは観劇のような体裁で告知するのか、あるいは何かの実験として人を集めるのかなど、公演全体の流れや構造をどうつくっていくかも考えどころですね。

村本:以前制作した別の作品でも、あらかじめ脚本を用意して、視覚装置の着脱などを含め儀式的に行っていました。今回もそのつもりです。

森田:HMDを装着する体験者と、客席から見る観客、どちらの体験をより重視したいですか?

村本:より重視したいのは、HMDを装着する人の体験ですが、同時に、スクリーンで上映される映像(参加者たちのパースペクティブから発生する映像)も重要です。

森田:今日のデモでは、HMDでの体験のあと、ほかの人が体験しているHMDの映像を別のディスプレイで拝見したことで、体験として落ち着いた感じがありました。公演でも、2段階で見られるといいのかもしれません。

見ることへの感動を、参加者と共有するために

村本:参加者や観客には、まずは「見ること」の経験に集中してもらいたいと思っています。このシステムができて自分で初めて体験したとき、世界に投げ出されて初めて何かを見た、その感動の再演のようなものを感じました。それは映画のように、一つではないパースペクティブ(視点)で語られた世界を受け取ることができることへの喜びとも繋がっています。この感覚とその強度には、少なからず自分特有のものが含まれてしまっていることは自覚していますが、構想どおりに精度よくこの作品の構成を実現することができれば、共有・強要しうるものになると期待しています。

森田:私は今日初めて体験して、体験しただけではこの作品を楽しむためのリテラシーが足りないと感じたのですが、『Selfie as Dance』など以前からの試みを拝見して、なるほどと腑に落ちました。

山川:見るとはどういうことか、この作品は映画がその誕生からずっと探求してきたことを、最新の技術を使ってさらに更新せんとする試みだと思っています。そういう意味では、純粋に体験に集中してもらうことも大事ですが、村本さんの考えをステートメントなどで共有することも鑑賞者にとっては手がかりになるのではないでしょうか。
村本さんの活動は、科学と芸術の接点にある興味深いものです。カメラというのはとても科学的な、機械の目で、スポーツの審議に使われたりもする正確なものです。対して人間の目はより曖昧なものですが、村本さんはカメラという機械の目を使って、人間がものを見るとはどういうことなのかを解き明かそうとしている。工学科にいながら、同時にすごくアーティスト肌で、その両義性が活動にもよく表れていますし、その特有の感覚が見る人にも伝わってほしいと思います。

―11月末の実験を経て、作品の構造をさらに深め、最終面談に臨みます。