枠(フレーム)と鏡、ビデオカメラ等を用いたインスタレーション作品『あなたは、翌日私に会いにそこに戻ってくるでしょう。』が第20回文化庁メディア芸術祭アート部門新人賞を受賞した津田道子さん。
今年度採択された企画『Double Half Step』(仮)でも、前作のインスタレーションにも用いられた時間差に加え、その中に物語の要素を取り入れ、映像特有の物事の語り方をして、より鑑賞者を没入させる作品に向けた基礎研究や実験をします。

アドバイザーを担当するのは、アーティスト/多摩美術大学教授の久保田晃弘氏と、
ソニー株式会社UX・事業開発部門 UX企画部コンテンツ開発課統括課長の戸村朝子氏です。

「コントロール」の方向性

津田道子(以下、津田):広い場所で試作をつくってみました。ディスプレイの数は当初より増やして配置し、距離をもって観察しました。映像を流したディスプレイの間をパフォーマーは走ったり横切ったりという単純な動きをしています。映像とパフォーマーの動きの同期が偶然起こったりします。

戸村朝子(以下、戸村):パフォーマーの動きや映像はどのようにコントロールしていますか。

津田:映像はランダムです。パフォーマーの動きは、直角、斜め、スピードを一定にするという程度のルールです。また、ディスプレイがないただのフレームも試しに入れてみました。動きながら映像を見ていると人が遠ざかるように見えるけれど、映像が透過するので向こう側から見ると逆の方向に遠ざかるように見えます。鏡のように見えるので、1つのフレームは鏡でもいいかなと感じています。

久保田晃弘(以下、久保田):映像とパフォーマーのシンクロが偶然起きているとすると、その状況は起きないことの方が多いのでしょうか。

津田:見る人が、結構な頻度でシンクロが起こっているように感じているという状態です。シンクロというよりは、それぞれの動きと映像の組み合わせに対して、見る側が勝手に意味を読み取ってしまうところはありました。他の実験では、出す映像をキーボードでコントロールもしていて、これは組み合わせを見つけていって、シーケンスを組むのがいいのかもしれないと考えています。

久保田:ランダムには委ねないほうが面白いと思います。たとえば、人が前を通ったら10秒後に映像が動いているという仕掛けがあって、だけどそのことを感じさせないほうが強い作品になるでしょう。以前の作品も、24時間後に再生されるというルールがありましたよね。あれがランダムな時間間隔だと説得力がなかったように思います。ランダムに見えて、実はすべてコントロールされていることが、良いコンポジションにつながるのだと思います。

作家自身の「訛り」の表現をどのように入れるか

津田:以前この作品は作曲的な考え方があるという意見をいただいて、なんとなくその考え方がわかってきました。投げる動作と受け止める動作がひたすらループする2つの映像を配置していますが、片方が一コマだけ尺が違います。そのため最初は投げて受けとめる動作が合っているのですが、少しずつずれていく。投げて受け止めるまでの間(ま)が変わってくると、距離が違うかのように見えたり、同じ映像なのに違う映像を見ている感覚になります。

戸村:受け止める映像は面白いですね。タイミングに対してセンシティブで、だからこその面白さもあるしズレの強調もできる。「受け止める」という意味の解体も考えてみるといいかもしれませんね。

久保田:ボールを落とす動作を入れるのもいいですね。キャッチボールは相手の取りやすいところに投げてあげるということだから、それは人々を変化していけない状態にし、人間関係を硬直させている状況にもとれます。微妙な差異を追求するのもいいですが、もう少し思い切って、投げることと食べることだとか、意外な組み合わせでも成立しそうだと思います。

津田:今後絞っていくとすれば、タイミングがずれるものはもう少し追求できるかなと感じています。

久保田:ただ、ずらす映像はほかの人でもすぐにできてしまうと思います。どうやったらこれが成立しているのかわからないとか、まさかこういうことが起こると思わなかったという、ある種の到達不可能性をどこに見せるかを考えていけると、作品として自立していくのではないでしょうか。つまり津田さんにとっての方言や訛りのようなものがどう表現できるか。個人の作品は訛りを入れるチャンスだし、そうあるべきだと私は思っています。その代わり、標準語ではないから万人に通じるとは限りません。

津田:見る人が立つ場所によってどう違うか、そこにどのような環境をつくるかについては、まだ実験できていないところです。

久保田:また、パフォーマーは今のような若い女性でいいのかという問いかけもある。そうでなければならないという意見もあるし、身体に不自由がある人や高齢者だとどうなのか。つまり、そここそが、自分は何を表現したいのか、ということと直接繋がっていくと思います。パフォーマーが入ることによって、社会やモラル、倫理などが当然いい意味で入ってくるから、訛れる要素はたくさんあります。

戸村:パフォーマーを入れることは、ある程度の偶発性を許容するものです。この偶発性を些細なものにするのか、コントロールするのか。または即興を誘えるような装置なのか。抽象度の高いものでいいと思いますが、さまざまなパラメーターがあるなかでどのような道筋を立てるかというところが課題ですね。

久保田:かつて即興演奏家のデレク・ベイリー(1930-2005)が語っていたように、練習することと即興することの矛盾をどのように回答するか。そもそも即興はいつ終わるのか。さらに「終わる」という概念は一体何なのか、ということを考えなければなりません。技術的には、逆に人の方をすべてアルゴリズムで動かすこともできます。

物理的に関係のないものにつながりを見出せるように

戸村:パフォーマーと起きていることとの接点は、どうデザインされるのでしょうか。各ディスプレイで何が起こるかをプログラムし尽くしたとしたら、パフォーマーは自由度があるようで、ない存在です。パフォーマーの存在の必要性がよくわからないということはありませんか。

久保田:そこのところは、ステップ・バイ・ステップで進めていかなければならないと思います。今回は、ディスプレイと映像を構成してきちんとつくっているにもかかわらず、見ている側にはその仕組みはわからず最初はランダムに見えてしまう。でも、次第にそうでないことに気づき始める。こうした感覚をもたせられると、作品の明快なメッセージになると思います。
中間面談で話した映画の試作のように、物理的に関係がないものに対しての面白さなどを追及するのも、いいかと思います。その上で、パフォーマーは自由に動けるとしたらどこまで自由にするか、あるいは何らかの制約を与えるのか。それだけでも、じっくり探求すべき道があると思います。映像を出すタイミングとパフォーマーが動くタイミングをどのようにコンポジションするかを考えて、関係性もしくは構造を記述してみる。いろいろな検討すべき項目をあげた上で、自分はどこにフォーカスしたのかが示せればいいと思います。

津田:映像は通常一つの画面に集中して、視点が固定されますが、実際の空間ではそれぞれの視点から異なるものを見ている、ということを表現の形式として反映できる作品をつくれるかもしれません。

久保田:それは今の社会にとって、どのような意味を持つのでしょうか。

津田:これほど誰もがカメラを携えた時代は今までにありませんでした。ローテクですが、これは現代的な問いだと考えています。そして成果発表では、パフォーマンスかインスタレーションとして発表したいと思っています。

久保田:具体的にどう見せたいかを決めることでフォーマットが導かれ、そこから作品が姿を現してくると思います。僕自身は、フロアプランやダイアグラムを示して、どういう質の動きが生まれ何を生み出すのかを見たいですね。上から広角で映像を撮ることで、全体を記述したり、いくつか違う視点で撮ってみることを通じて、緻密に考えたコンポジションを表現してほしいです。ちょっとしたことで大きく変化する空間におけるコンポジションやパフォーマンス表現の強さと深さを期待します。
あとは、物理的に関係していないものに対して、人間がつながりを見出してしまうというという、2つの構造の重なり合いで何が生まれるのかを考えていって欲しいです。それは僕らは世界をどう捉えているのか、ということに対する問い直しだと思っています。

―2月23日に開催される成果プレゼンテーションでは、作品のデモンストレーションや実験の映像が紹介される予定です。