これまで日本独自の文化とテクノロジーを掛け合わせた作品を制作してきた市原えつこさん。本プロジェクトでは、『デジタルシャーマン・プロジェクト』(仮)と題し、「信仰」や「死」といったテーマをもとに、リサーチや作品制作を通し、新しい祈りや葬り方のかたちを提案する作品を制作する予定です。

市原さんのアドバイザーを担当するのは、編集者、クリエイティブディレクターの伊藤ガビン氏とNTTインターコミュニケーション・センター [ICC] 主任学芸員の畠中実氏です。

死や弔いをデザインすること

―9月24日に行われた中間面談では、リサーチの報告と、作品のプロトタイプを見ながら現状の進捗について話していただきました。

市原えつこ(以下、市原):「死」や「弔い」はさまざま側面から考えられるテーマなので、関連がありそうなものを片っ端から調べていきました。SFやドキュメンタリー映画や、身近な人の死に関するエピソード、文化人類学などの文献を収集したほか、現代日本の弔いの構造を調べたり、古墳時代の墓地の遺跡に行ったりもしました。

調べていく中で、主に二つのことに気づきました。一つは日本における死や弔いの構造は、高度経済成長を通して変化していることです。人間、誰かの死に直面すると動転してしまうため、現代においては弔いを完全に葬儀屋に任せるのが通例です。昔は村の共同体システムに沿った相互扶助による葬儀の仕組みもあったようですが、現代の都市生活においてはあまり機能しなくなっています。不吉な死霊や死穢という概念が薄れ、死者への意識が変化していたという指摘もありました。

もう一つは、本人が死について選択したり、デザインしたりすることの自由もあるのではないか、ということです。死や弔いがブラックボックスなのはなぜか。宗教的なタブーや、怖いから考えたくないという理由もあると思いますが、現代の日本では死が身近でないことを改めて認識しました。

リサーチのなかで「グリーフケア」という言葉も知りました。これは親しい人の死に直面し、深い悲しみにある人に寄り添って援助するケアだそうです。現状のアプローチでは、このケアのように残された人の深い悲しみをやわらげる、死者との擬似的な関わりを持てる仕組みをつくれないか、と考えています。

汎用性よりも「死」を問うものにする

市原:現段階では、弔いのためのロボットと都市生活者のためのモバイルモニュメントの制作を考えています。

前者ですが、開発者の方にお願いして家庭用ロボットの「Pepper(ペッパー)」を使ったプロトタイプをつくりました。Pepperが問診票のようなもので故人のメッセージや遺言を吸い上げて、死後に家族へ伝えます。Pepperは感情認識機能を持つ上に親密な家族を登録できるので、こうした人や感情に連動したトリガーを使って言葉を発動させられます。またSNSと連携し、命日には故人のSNSのデータから写真をインポートしてメモリアルムービーを流すことなども可能です。

後者のモバイルモニュメントとは、遺骨を収納でき、身につけられるモニュメントです。地価が高騰する都市社会では不動産的に墓地を持つのが大変だということと、生活から隔離された墓地に対して、もっと身近に追悼できないか、と考えました。LEDを仕込み、先ほどのロボットと連携して故人からのメッセージがあるときに光ったり、命日をお知らせすることを考えています。

伊藤ガビン(以下、伊藤):当初の企画では死者がPepperに憑依した状態で四十九日まで過ごす予定だったと思いますが、今の案はPepperは時々メッセージを伝えてくれるメッセンジャーですね。

市原:現状のプロトタイプは遺言書が形を変えたようなイメージになっています。そのあたりの方向性も悩んでいます。

伊藤:先ほど言っていた「深い悲しみをやわらげる」ということだと、死後直後の時間をどうするかが重要だと思います。慣れ親しんだ媒体などからメッセージをうけるサービスがあればロボットでなくてもいいかもしれません。

市原さんのリサーチは興味深いですね。葬式というイベントは突然やって来て、準備もままならない。遺族は死については素人だから、経験のある葬儀屋に頼る。それがビジネスとして成立している状況に一石を投じられたらいいですね。

畠中実(以下、畠中):市原さんも悩んでいる通り、作品の方向性は難しいですね。命日を知らせる機能は案外普通なのかもしれません。
Pepperを使うと企業サービスっぽいですし、作品もPepperの一機能のように見えてしまいますね。むしろ作品自体がビジネスに転じ得るようなアイデアになっている感も否めません。葬儀ビジネスのオルタナティヴでいいのか、もう少し根本的に「死」がどういうものかを問うのか、二つの方向に分かれると思います。

市原:現実のことをリサーチして考えていけばいくほど、現実の代替を考えてしまっています。

畠中:それはそれで実用的ですよね。でも、目指していたのはサービスと違うものだったのではないでしょうか。誰か一人を対象にして、とことん付き合うような態度でいいのではないかと。死後も自分の存在を世に残したいと思いませんか、という話に乗ってくれて市原さんの考えを受け止めてくれる人がいればいいのですが。

市原:私自身が普段ウェブサービスの仕事をしていることもあり、つい実用に向けてつくり込んでしまいます。しかし、汎用的なサービスに寄らず、アートとして成立させるにはどうしたらいいのか、アートだからこそやれることは何か、という問題意識は常にあります。

特定の個人を対象に

畠中:目指しているのは死者との同一性といった難しいテーマでしょうが、そう考えると、残された人のグリーフケアよりも、死んでいく人のケアが重要になってくるのではないでしょうか。死にゆく人に「残された人にどう残していきますか」と問いかけること。やはり、まずは協力者を見つけることだと思います。

伊藤:答えとしてのプロダクトをつくるより、問いかけとしての精度を高める。汎用性はあと回しで「この人にとって一番良いものはなにか」という方向で考えた方がよいと思います。でき上がったものが結果的に汎用されればいいのです。

当初の企画書では、ロボットにインストールされたプログラムが四十九日に消滅するという案だったので、これは死者を忘れるための企画だと思っていました。世の中は、忘れられないことが増えている傾向にあります。本来、忘れることは社会に組み込まれていたと思いますが、今はサーバーにログが残ってしまう。お盆や命日に亡くなった方を思い出すのはいいのですが、思い出すことはむしろストレスになるかもしれません。忘れるためのデザインっていうのもいいかもしれません。

畠中:四十九日の間、そのPepperと付き合っていたら、一緒にいる人の意識も変わる気がします。それをドキュメント化するとかも良いかもしれません。その状況に対面することは違和感みたいなもので、事実を受け入れるためのプロセスかもしれないですよね。

市原:亡くなった方のソーシャルメディアをすべて削除するサービスもありますね。いずれにしても、やはり一人の対象と向き合って「あなたはどうしたいですか」と聞いて進めていくのがいいのかもしれません。

伊藤:アート作品としての強度を求めるか、多くの人に受けるのか、成功のイメージが大事ですね。

―アドバイザーの意見を受けて、プロジェクトの形に「問いかけとしての精度」を高めることが1つの課題となったようです。次回の最終面談に向けて、軌道修正と作品の本開発が行われる予定です。