2015年に監督した自主映画『ほったまるびより』が第19回文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門新人賞を受賞した吉開菜央さん。今回採択されたのは、『自転車乗りの少女 〜日本のどこかの町編〜』(仮)という映像音響作品です。那須ショートフィルムフェスティバルで制作された第一作目の続編として、刻々と変化していく景色と音を少女が漕ぎ進める車輪に乗せ、虚構と事実を混在させながら進んでいく時間を作り上げます。

吉開さんのアドバイザーを担当するのは、編集者/クリエイティブディレクターの伊藤ガビン氏と、アニメーション作家の野村辰寿氏です。

紆余曲折を経てのストーリーの決定

―今回は、本作のプロデューサーを担当する鈴木徳至さんとともに面談を行いました。まず、制作の進捗状況の報告、そして、絵コンテの役割を担うものとして制作された紙芝居の発表からスタートしました。

吉開菜央(以下、吉開):前回の初回面談の後、考えていたストーリーを紙に書いて、それを鈴木さんに読み聞かせたら、「自転車の良さがなくなったね」という意見をもらいました。たしかに縦横無尽に移動をする話ではなくて室内の話になっていて、自転車の良さはなくなっていると思ったので、その良さを取り戻すためにもとりあえず気になるところにロケハンに行きました。ただ、そのロケハンは収穫が少なくてあまりうまくいきませんでした。
別の話も考えて絵コンテにまとめたのですが、それも「あまりまとまりがない」という感想を鈴木さんにもらいました。そのときに「ずっと映像が動き続けていたから良かった。その動き続けている中にいろいろ入り込んでくるのが良いんじゃないか」という意見ももらい、意見になるほどと思うところがありました。もともと、自転車に乗る時の気持ちや、自転車をこぐ時に身体をこう動かして乗りたいというようなイメージがあったので、それを一回形にしてみようと思って紙芝居にしました。その後も3回くらいストーリーを書き換えてこのような内容になりました。

映像表現のトーン&マナー

野村辰寿(以下、野村):今は紙芝居で絵を見せながら言葉を当てていたんだけど、実際に絵の上に重なる音声はどのように考えているのですか?

吉開:基本は音声でナレーションは入れない想定です。今は説明のために入れています。

野村:言い回しが面白いから、行動にナレーションを丸当てしても面白さが出るのかなと思って聞いていました。例えば、絵だけではその面白さは伝わらないシーンもありますよね。そのあたりの処理はどうするのでしょうか。

吉開:シーンによっては言葉を当てたいところもあるのですが、まだ想像ができていません。制作の過程で面白くなりそうだったらやるかもしれません。

野村:どういうときに音声やナレーションを入れるのか、それを誰の目線で入れるのかなどのルールが見えると良いのかなと思いました。ガビンさんはどう思いますか?

伊藤ガビン(以下、伊藤):紙芝居を見ながら思ったことは野村さんと同じです。作っている過程でこっちの方が面白いと変更することもあるけれど、そう思ったときは手遅れということもあるので、ルールを決めて、なおかつ現場で判断するという感じが良いと思います。

吉開:そうですね。最後にロケハンに行ったのが神奈川県の真鶴町なのですが、街中には人はそれほど多くはないのですが美の基準があったり、宿泊したAirbnbのオーナーが東京からの移住者だったりと、ちゃんと好きだと思えた場所でした。どこで撮るのかというのも一応決まっています。

野村:場所を決めたら、そこをもっと探ると面白いものが見つかるので、そこを膨らませていけば良いと思います。実景と主役の女の子が現実と空想のギリギリのところを行き来するようなことが全編にポエティックに綴られて、不思議な良い空気感になると良いなと思いました。初回面談は計画がざっくりとした感じで、トーン&マナーやシュールの具合もバラバラだったから、どうやりたいのかが解らなかったので「事前にシナリオや撮影台本を書いた方が良い」という話をしましたが、今回こうやってビジュアル化を前提とした紙芝居を見せてもらうと、やはり想像できるものがあるし、雰囲気が伝わるものになったと思います。

撮影方法の検討

伊藤:想定の主人公は決まっているんですか?

吉開:主役の候補はいます。もともとは男顔の力強い感じの女の子が良いと思っていたのですが、紙芝居を描いたあとに、私とは違う柔らかそうな子の方が良いと思いました。

伊藤:撮影方法は念頭にあるんですか?

鈴木徳至(以下、鈴木):今回は『ほったまるびより』よりも物語性があるので、カメラマンにも事前に相談して、伝えたいことを含めて撮り方を考えていきたいと思います。ただ、やはり機材を厳選してやるような感じにはなると思います。

野村:あとは、音の付け方でもすごく印象を面白くできると思います。音の要素はものすごく大事ですよね。現実とは違う音をどうつけるか。ナレーションにするか、ナレーションは最大限減らすのか、モノローグ的にするのかなどで全然違ってくるし、トーンもコントロールできますよね。

鈴木:彼女の作品のベースは「ダンス映像」だと思っているので、このようなモチーフと撮影方法を用いても、物語を伝わるようなものにできると良いなというのは個人的には思っています。言葉数で攻めるよりは自然と見てしまうような作品にしたいとは思っています。

野村:いまの段階では当然説明的な文章になる訳だから客観的な物言いになっていますが、そこを敢えて客観的な物言いのままで入れていっても面白いし、視点を変えて一人称的なモノローグで語っても面白いですよね。もちろん言葉なしでうまく伝わったらそれはそれでひとつの形になると思います。

吉開:確かにそうですね。ちょっと叫んだり、喋ったりはしたいです。声を聞きたいとも思います。

野村:それはリアルな音声ではなく、後からアフレコで心の声を入れるのでも良いですよね。作品の骨ができたと思うから、あとは撮影方法を決めて、より具体化していくためにロケハンをしながらシーンを固めていくことが必要ですね。

吉開:これがちゃんと撮れたら編集がすごく楽しくできそうだと思っています。編集で変えたりもできると思うので、ひとつひとつのシーンを余すことなくいろいろな角度から撮っておきたいと思います。

鈴木:『ほったまるびより』のときも、監督が撮りたい素材は必要の倍以上あったので、今回においても可能な限り多くの素材を撮影する方が良いシーンになると思います。彼女には撮りたい素材を撮っておけば編集でどうにかする力があるので、予算の許す限り撮影をしたいと思います。

場所にあわせた上映方法

伊藤:前回の面談で悩んでいた上映形態についてはどのように考えていますか?

吉開:展示という形で観せることができたら良いなと考えていますが、今はまだ検討中です。

鈴木:いろいろなやり方があると考えています。『ほったまるびより』のときには映画として上映したあとにいきなり監督自身がパフォーマンスをはじめたりしました。台湾でパフォーマンスつきのものをやったら結構面白くできて、2月にSuper Deluxe で行われたメディア芸術祭のイベントのときにそれは完成したなという感じがしました。普通に上映作品としても観ることができるし、もう少しインタラクティブな見方もできる。そのように、場所にあわせて見せ方を変えていくのでも良いと思っています。そして、『ほったまるびより』はDVDと写真集でソフトにもしてみました。しかし、DVDでは画質が落ちて思ったような感動が届けられない部分があって、かといって短編映画は上映する場所がすごく少ない。なかなか多くの人に届けられないのがすごく悔しかったですね。

吉開:『ほったまるびより』ができて、運良くいろいろなところで呼んでもらえて、パフォーマンスや展示もできました。その場所にあったものというか、自分の映像を展示という見せ方で見てもらうというのはすごく良いなと思いました。映画館にきて2時間座って観るというよりはふらっときて観たら、いつのまにか全部見てしまったという感じが良いなと思っています。だから展示はすごくやりたいと思っています。

―いよいよこれから撮影に入るという吉開さん。次回の最終面談では撮影後の報告などがされる予定です。